1984年4月、『超電子バイオマン』はスーパー戦隊史上初めてヒロインを葬った。棺に納められたのは、マスクを閉じたままの黄色いスーツである。中の女優はもう番組にいなかった。残った四人は採石場でイエローフォーを弔う。遺影はない。棺の上にバイオロボが映し出すのは、オープニングから流用した、走りながら手を振る小泉ミカの姿で、ナレーションはバイオマンが四人になったことを告げる。1984年4月7日土曜の夕方、テレビ朝日で放送された第10話「さよならイエロー」の幕切れだった。その前の二十分間、ヒロインは戦い、身を隠し、ピンクファイブをかばい、一度も素顔を見せないまま死んでいった。
理由は画面の外にあり、視聴者は誰も知らなかった。ミカを演じた矢島由紀は1月末に千葉真一のジャパンアクションクラブ(JAC)を離れ、第7話から第9話のアフレコにも戻ってこなかった。「さよならイエロー」が放送された時点で、彼女が現場を去って二か月がたっていた。ミカの最後の四話で聞こえる声は、急遽ノンクレジットで呼ばれた田中真弓のものである。のちにクリリンとルフィを演じることになる声優だ。
東映がこの件について何かを書くまでに五年かかり、書かれたのは1989年のムックの一行だった。女優は「事故により出演続行が不可能になった」ため降板した、と。実際に何があったのかは、その後の四十年でばらばらに明らかになっていく。2010年のピンクファイブのトークショー、2013年のTBSのバラエティ番組、2018年のプロデューサーの回想録、2024年の共演者による六本の動画、そして今年2月、JAC出身者二人がXに書いた投稿。降板の理由はいまも分かっていない。それを知る唯一の人物は、四十二年間、公の場で口を開いていない。
JACでの日々
矢島由紀は1962年2月11日、千葉県に生まれ、製油所と製鉄所の街、市原で育った。東海大学系列の女子校に学び、芸名は本名のままである。1983年、JACは勁文社の文庫本で所属の「カンフースター」たちを紹介し、そのプロフィールが、会社が語るに値すると考えたことのすべてを要約している。身長162センチ、剣道二段、バスケットボールとスキーが得意で、バイクの免許を持ち、山とツーリングが好き。好きな言葉は「最上」、好きな色は黒、茶、えんじ。その年JACが売り出そうとしていた若手のひとりだった。
子どものころはバレーボールかバスケットボールの選手になりたかった。転機は宝塚の『ベルサイユのばら』を観たことで、以来タカラジェンヌを夢見るようになるが、受験はしていない。オーディション雑誌で見つけたのがジャパンアクションクラブの募集広告だった。「これだ」と思って受け、1981年3月、19歳で合格する。
夢の乗り換えは、見た目ほど突飛ではない。宝塚は二年制の音楽学校で女性に王子や将軍や悪役を演じさせる。千葉真一のJACは、器械体操と殺陣と道場の上下関係をもって、同じ約束を別の形で売っていた。女が男と同じことを、しかも本当に画面の中でやれる、という約束である。その証明が志穂美悦子だった。70年代の『女必殺拳』シリーズで、二十歳の彼女は東映で自分のアクションを自分でこなしていた。矢島はこれからの三年間、まさにその系譜の役を演じることになる。くノ一、異星の女戦士、海賊船の少年、そして戦う写真家。
当時のJACは人気の絶頂にあった。千葉が少年時代から育てた真田広之は、東映のアクション映画で国民的アイドルになったばかりだった。新宿コマ劇場でのミュージカル、若手のレコード、そして「JACブラザーズ」というアパレルブランドまであり、発売日には千葉、志穂美、真田が自ら店頭に立った。ある書き手は、この時期のJACが「アイドルグループ的な色合いを帯び」、入団試験には真田のそばにいたい志願者が押し寄せた、と書いている。
1981年のオーディションの特典は、真田が香港で撮ることになっていたアクション映画『吼えろ鉄拳』への出演だった。のちに『宇宙刑事シャイダー』のアニーを演じる森永奈緒美は、真田に夢中の友人に引きずられて受けに行ったと語っている。友人は落ち、空手も体操も未経験で、JACが何かもよく知らなかった自分が受かった。いまでも自分を「同期で下から二番目」と言う。
矢島は正反対の経歴で入ってきた。会社が彼女をすぐに起用した理由はそこにある。1981年入団の同期は当初11期、のちに12期と数え直されるが、特撮ファンなら知っている名前がそろっていた。のちのシャリバン、渡洋史はまだ端役と怪人のスーツをやっていた。辻井啓伺は二年半後にイエローフォーのスーツに入る。大須賀昭人はブルースリーになる。田中澄子は高校在学中に合格し、千葉に「卒業してから上京しろ」と言われた。志村しのぶはゴーグルピンクのスーツアクトレスに、土屋歩は『シャリバン』で矢島の弟を演じることになる。この同期の絆は生涯続いた。渡はブログで辻井を「十八のときからの友人」と書き、田中のイベントに顔を出しては「JACの絆は深い」と言う。同期の集まりに一度も現れないのは、矢島だけである。
入団当初の日々は、どの新人とも変わらない。体操、殺陣、ジャズダンス、演技のレッスン。誰かひとりが落ちれば全員がやり直す稽古。そして大量のエキストラ仕事。森永、渡、大須賀は『サンバルカン』『ゴーグルファイブ』『シャリバン』で怪人や戦闘員や高校生をやった。指導者のひとり、ベテランの井上清和には新人への決まり文句があった。「三年は稽古しないと、何の役にも立たない」。ファンクラブ会報は新入りを「ちょっとボーイッシュな、健康的な女の子」と紹介している。十九歳の彼女について残っている描写は、これだけだ。
1981年5月から8月、同期全員が『吼えろ鉄拳』に高校生役で出演した。6月、入団からわずか三か月で、矢島は千葉がその年の後半に京都の東映で撮った『冒険者カミカゼ』で、名前と台詞のある役を得る。千葉は元オリンピック体操選手を演じ、脚本はフランス映画『冒険者たち』へのオマージュとして、格闘ではなくスポーツを軸にしていた。矢島の役は仁科ミチコ、架空の東西大学の学生で、真田の役の友人である。銃撃戦の一部は長崎の廃墟の島、軍艦島で撮られた。公開は1981年11月7日。
JACはこの起用を特別扱いにした。NHKの『600 こちら情報部』が所属女性を生中継で取り上げたとき、ベテランの井上清和と小島典子の隣に立ったのは矢島で、井上が「三年」の掟を繰り返したのも彼女の前だった。1982年、京都北部の山あい、清滝で開かれる年に一度のファンイベントでは、同期の女性でただひとり、単独のアクション演目を披露している。会社は会社なりのやり方で、次は誰かを示していた。
1982年、JACは彼女を舞台と映画とテレビに同時に立たせた。8月から9月、歌舞伎町の新宿コマ劇場で、千葉真一演出のミュージカル『愉快な海賊大冒険』が上演される。志穂美、真田、黒崎、森永が出演し、矢島はアンサンブルだった。公演は満員で、エピック・ソニーからレコードが出て、三年間再演された。1983年3月から4月の梅田コマでの大阪公演では、彼女に役がついている。海賊船のマスコットの少年ボルト。酒場の場面で酔っ払う男の子の役で、コミカルな役どころながら、ひとりで場面を持たせる必要があった。
その年の映画出演には、いちばん面白い経緯がある。『パソコン・ウォーズ ISAMI』は橋本以蔵の監督デビュー作で、8ビットパソコンとローラースケートを持った少年ギャングの映画だった。1982年8月公開、アクション指導はJAC。当初の脚本では、敵対するギャングのナンバー2はテツという大男だった。橋本が格闘場面の相談にJACの道場を訪ね、稽古中の矢島を見て、役を女性に書き換えた。こうして生まれたのがショウコ、ソルティ・ジェッツの紅一点で、前線で部下を指揮し、縄でつないだ球を武器に戦い、『週刊明星』のあらすじによれば「主人公の女らしさを内心うらやんでいる」。JACの会報に矢島は、ショウコは「とても演じにくかった」と書き残している。ときどきオークションに数百円で出る映画のパンフレットには、表紙に彼女の名前がある。
テレビの初レギュラーは同じ年の10月、テレビ朝日の『柳生十兵衛あばれ旅』だった。千葉が隻眼の剣豪を演じる全26話で、JACの面々が十兵衛を支える忍びの集団、裏柳生を埋めていた。2022年のDVD化では、彼女は千葉、志穂美、真田、黒崎に次ぐ五番目にクレジットされている。役はくノ一のアケミ。黒崎の役、ありすけの妹である。アケミは茜姫を守り、旅芸人、旅役者、踊り子と、変装を重ねながらシリーズを渡っていく。1983年4月19日放送の最終回、第25話で、彼女は日野原玄蔵に捕らえられて拷問され、救出され、十兵衛に暇を出され、それでも十兵衛と玄蔵の決闘の場へ走る。二人が斬り合う瞬間、その刃と刃の間に飛び込む。みんなにまた会えると思っていた、と言い残して死に、黒崎は泣き、髪をひと房形見にして旅を続ける。矢島由紀の画面の中での最初の死だった。一年もたたないうちに、あと二回訪れる。
この時期、彼女は唯一現存する自筆の文章を書いている。『十兵衛』とミュージカルで共演した志穂美悦子について、ファンクラブ会報に寄せた短いエッセイだ。志穂美は十歳上で、日本でいちばん有名なアクション女優であり、千葉が公に後継者と呼び、道場では厳しいことで知られていた。矢島は彼女を「仕事には厳しいけれど、優しいお姉さんのような存在」と書いた。ある公演で衣装がなくて途方に暮れていたら、志穂美が自分の服を全部貸してくれた、と。結びは「女性としても人間としても最高の人」。矢島の声が仲介なしにわたしたちに届く唯一の機会に、彼女が選んだのは、別の女性の気前のよさを語ることだった。
仕事には厳しいけれど、優しいお姉さんのような存在。女性としても人間としても最高の人。
矢島由紀、志穂美悦子について · JACファンクラブ会報バイオマン
東映で戦隊シリーズを率いていたプロデューサー、鈴木武幸は、その年、初めてチームに女性を二人入れると決めていた。キャスティングの経緯を彼が語ったのは、ずっと後のことだ。矢島にオーディションはなかった。直接オファーを受け、五人のうち最初に決まり、役は彼女に合わせて書かれた。初期案での名前は篠山ミカ。チームでただひとりの「普通の人」で、自分の夢があるからと戦うことを拒む唯一のメンバーだった。この拒絶は決定稿にも残る。小泉ミカは十八歳の写真家で、亡くなった兄の遺志を継いでアフリカの自然を撮りたいと願っている。気が強く、負けず嫌いで、格闘とバイクが得意。HBカラーのスズキRG250Γを駆り、序盤では郷と衝突しては単独行動に出る。チームのサブリーダーである。企画段階の資料によれば、番組はレッドワンと彼女の二本柱で構想され、のちに香港で活躍する大島ゆかりのファラキャットとの対決も最初から設計されていた。当時の空気を、ある日本の読者がこう要約している。「番組は彼女を中心に組む予定だった。第二の志穂美にするつもりだったんだ」。

1983年11月半ばに撮影が始まったとき、ほかのキャストは経験がほとんど、あるいはまったくなかった。レッドワンの阪本良介にはテレビの経験があった。大須賀はJACの所属で、まだ裏方もこなしていた。グリーンツーの太田直人とピンクファイブの牧野美千子はテレビ初出演である。牧野が選ばれたのは、ピンクの選考が行き詰まっていたからだった。制作側は闘志あふれるイエローと対照的な「普通の女の子」を求めていて、鈴木が自分の机の上にあった雑誌の表紙で横浜の女子大生だった彼女を見つけ、大学の事務室に電話をかけた。

現場での矢島について分かることは共演者の証言によるもので、その像は一致している。同期で『バイオマン』ではメカクローンのスーツに入っていた志村しのぶは言う。「クールで群れるのが嫌いで、根っこには孤独があった」。後任となる田中澄子は言う。「人との間に壁を作っているようだったけれど、話しかけると、優しく丁寧に聞いてくれた」。牧野は、自分にとても厳しく、隅でひとり台本を読んで役を作り込む姿が怖いほどだった、と記憶している。最年長で、彼女とほかの面々の橋渡し役だった阪本は、芝居もアクションもできる稀有な存在で、気が強く、距離を保っていた、と語る。その気性は役作りの一部でもあり、「ポスト志穂美」であることの誇りの一部でもあったのだろう、と彼は見る。四人の証言が描くのは同じ人物だ。三本の作品歴を持つ二十一歳のプロが、三人がテレビ初出演というチームにいて、番組が自分を中心に組まれていることを知っていた。
牧野は2010年4月、日本橋のホビーショップでのトークショーでさらに語り、客席にいたファンが翌日ブログに書き留めた。矢島は彼女に指示を出していた。ひとつは演出的なもの。「ピンクはもっと弱くないと、イエローが引き立たない」。もうひとつは技術的なもので、台詞のないときは口を閉じておくこと。全編アフレコの番組では、新人が余計に口を動かすと、あとで全員の仕事が増えるからだ。矢島は『十兵衛』と『シャリバン』でそのスタジオを経験していた。牧野は彼女を「プロ意識が高く」「とても怖い」人と言い、同じ息で、たくさんのことを教わったと言った。ミカ対ファラキャットの場面については、二人のアクション女優が火花を散らし、互いに負けず嫌いで、大島がすでにアクションスターになる夢を熱く語っていて、男四人はそれを眺めて「うわあ、女の喧嘩だ」と言い合っていた、と。JACの二人、大須賀と田中は、自分の出番が終わるとすぐ、メカクローンのスーツに入っている先輩たちの世話に回った。事務所の上下関係は、東映の現場でも生きていた。

矢島はバイクを実際に運転していた。後任は免許がなく、走行場面はすべて牽引だった。エピソードを見返すと、いちばん危険な素顔のアクションは彼女が担っていたことが分かる。『ゴーグルファイブ』『ダイナマン』で春田純一が務めていた位置だ。イエローフォーのスーツの中は同期の辻井で、彼にとって初めての女性キャラクターだった。

共演者とのイベントに矢島が姿を見せた最後の記録は1984年の節分で、それを残したのは牧野の2020年の投稿である。寺崎という制作助手が、ヒーロー五人と悪役三人、中田博久、ストロング金剛、飛鳥裕子を、東京西部の青梅の山にある御岳神社へ連れていった。全員が裃を着て、ストロング金剛のファンも交じった参拝客の前で豆をまき、社殿で昼食をとった。牧野がその日から持ち帰ったのは、胸につけられた「バイオマン ピンク5」のたすきと、同僚の姿だった。「初代イエローの矢島さんには、裃がとてもよく似合っていた」。節分は2月3日。『バイオマン』の放送開始は翌4日である。
失踪前夜のことは、牧野が同じ2010年のトークショーで語っており、これが現存するいちばん近い証言だ。矢島と阪本は仕事帰りに一緒だった。別れ際、彼女はいつもの調子で言った。「明日、わたし消えるからね」。彼は「何言ってるの」というようなことを返し、それが二人の最後の会話になった。翌朝、彼女は集合に現れなかった。スタッフが右往左往する中、残った四人は撮影所近くの喫茶店で朝食をとりながら「どうなるんだろう」とぼやいていた。牧野は2010年にこう言った。「本当に怖い人だったけど、たくさん教えてもらったから、すごく悲しかった」。阪本は後年のイベントで、あの日以来一度も連絡はないと語っている。日本の掲示板には、警告を冗談として受け流したことに彼が責任を感じていた、と書く人もいる。
本当に怖い人だったけど、たくさん教えてもらったから、すごく悲しかった。
牧野美千子(ピンクファイブ) · 2010年のトークショーネットに出回っている「明日、撮影をつぶしてやる」という言葉や、阪本に打ち明けたという「社長への恨み」は、後年の再構成である。2012年に日本語版Wikipediaに書き込まれ、2020年に出典不明として削除された。トークショーの場でファンが書き留めたのは、あの一言と、驚きと、喫茶店だけだ。日付は符合する。彼女の項目は「1984年1月ごろ」にJACを退団したとし、プロデューサーは「2月ごろ、第7話のアフレコ前」に姿を消したと言う。1月に事務所との関係を正式に断ち、番組がすでに放送されていた数週間後に現場を去った、ということだろう。
プロデューサーが知ったのは最後で、自宅で営まれた父親の通夜の席だった。参列していたスタッフのひとりが何か言いたそうにしているのに気づき、外へ連れ出して、イエローが消えたと聞かされた。なぜ早く言わなかったと叱り、仕事に戻った。二年前に新人へ衣装を貸した先輩、志穂美悦子はスタッフとともに彼女を探しに出た。誰にも見つけられなかった。
鈴木は手元にあるものを棚卸しした。素顔の映像は第9話まであった。第15話はミカとひかるの二人回として書かれ、九割方撮り終えていた。戦隊初のダブルヒロインを作っている自覚から、二人を中心にした回を並行して撮っていたからだ。ミカが主役の第13話と第16話の脚本もあった。そして声のない第7話から第9話があった。
最初に片づけたのは声の問題だった。鈴木は国内最大の声優事務所、青二プロダクションの社長に、彼女に似た声を頼み、推されたのが当時二十九歳、テアトル・エコー所属で、クリリンもパズーもルフィもまだ先の田中真弓だった。2002年ごろのラジオで彼女は、会ったことも聞いたこともない女優と「骨格が似ている」と言われた、と語っている。声のサンプルを聞かせると「似てる」と言われた。スタジオに着くと放送が迫っていたらしく、一言ごとに全員が「似てる、似てる」と繰り返した。帰られては困ると思ったのかもしれない。日本人の顔に日本語を当てるのは外国映画の吹き替えよりずっと難しい、口をきっちり合わせる必要があるし、他人の呼吸は自分の呼吸と違うから、と彼女は説明した。四話をノンクレジットで吹き替え、死の場面には違和感が残った。仲間が駆け寄ってイエローを抱き起こす。普通なら人間の姿に戻るはずなのに、イエローは最後までイエローのままだった。東映のスタッフは恩義を感じ、ファンによれば、以後、東映アニメでの彼女の起用は一気に増えた。翌年には『勝手に!カミタマン』の主役の声を務めている。
曽田博久の第10話の当初の脚本では、イエローはカメレオンカンスとの戦いのあと横たわり、花を見つめ、この美しい星を守ってほしいと言い残して死に、郷がその亡骸を抱えて去る。急いで作り直された版では、すべてがスーツのまま進む。死を成立させるためにスタッフは反バイオ粒子を考案したが、なぜヒロインが変身を解けないのか、バイオロボがなぜ四人で動くのかは説明されなかった。『バイオマン』のスーツアクターは全員男性だったので、四人がイエローを「女性として」弔う場面は、居合わせた人によれば、現場に妙な空気が流れたという。日本のファンはこの回を「緊急工事」と呼ぶ。急ごしらえの反バイオ粒子は、のちに反バイオ同盟とバイオハンター・シルバの土台になった。シリーズ最高の敵役と多くの人が考える存在である。
後任には、鈴木がJACの候補三人から、太田直人を相手役にして選び、矢島の同期で、いちばん礼儀正しく好印象だった田中澄子に決まった。当時やはりJACにいた、のちの声優、富沢美智恵もテストの候補に挙がっていた。田中には演技経験がなく、化粧をしたこともなく、バイクにも乗れなかった。プロデューサーは彼女を東京でいちばん有名な山野愛子美容室に連れていき、写真を撮らせ、その写真を取引先に配った。交代が計画どおりに見えるように、である。第15話はミカの代わりにジュンで撮り直され、それが彼女の初日になった。予告に映っていた、ジュンがひかるを平手打ちする場面はカットされた。新入りが先輩を叩くのは筋が通らないからだ。ミカと郷の恋愛回だった第13話はジュンの紹介回になり、第16話も主役が入れ替わった。ひかるも一緒に変わった。戦わずにミカに守られる役として設計されていたのが、来たばかりの新人に守られるのでは不自然だったからだ。シリーズを通して見た人は、ジュンの加入以降、二人の女の子の間に、それまでなかった友情の空気が生まれることを覚えている。牧野によれば、それは現場そのものが画面に出たもので、彼女の言葉を借りれば「すみちゃんが来て、撮影が急に楽しくなった」。
残るはJACとの清算だった。事務所は、一年続く番組の主役を、東映に何の断りもなく引き上げたのである。田中と牧野が2024年に明かしたところでは、事務所の最初の案は千葉真一本人を『バイオマン』に出すことだった。結局出向いたのは、『里見八犬伝』で絶頂期にあった真田広之で、第13話の早瀬ケン隊長を演じ、続いて黒崎輝が第35話と第36話に出た。『ジャスピオン』主演の一年前である。鈴木は著書に、真田は誰よりも早く現場に入り、スタッフが恐縮してそんなに早く来ないでほしいと頼むほど礼儀正しく、それこそJAC最大のスターに期待されるものだった、と書いている。彼のファンだったから事務所に入った田中は、アイドルとの共演を贈り物として受け取った。牧野が覚えているのは、あの数週間の不安と、番組が打ち切られるのではという恐れと、自分たちと同じロケバスに乗る大スターの姿だ。キャストの男性のひとりは、伝えられるところでは、自分も降ろされるのではと神経性の湿疹が出たという。『バイオマン』は、JACの俳優が素顔で出演した最後のスーパー戦隊になった。『チェンジマン』以降、事務所が提供したのはスーツの中の男たちだけである。

答えのない謎
東映もJACも、当時も、その後の四十年も、何も説明しなかった。日本のメディアもその沈黙に付き合った。特撮誌はこの話題に触れなかった。1984年に大人のファンだった人たちは、大学の漫画研究会のネットワークを通じて口伝えで知ったが、世間の注目を集めたのは真田の登場であって、失踪ではなかった。あの年を生きたある読者は、ミカの声の交代とスーツのままの葬儀は奇妙に思えたが、誰もが話していたのは新しいイエローとゲストのスターのことばかりだった、と回想する。1989年、「事故」の一行が出た。
この件がファンの輪の外に出たのは2013年1月である。太田隆彦と牧野美千子が、ダイナイエローとダイナピンクを演じた夫婦とともにTBSのバラエティ番組に出演し、初代イエローが姿を消したこと、十年ほど前に千葉で働いている彼女を見かけたことを語った。彼女のその後について二人が語ったことは、バラエティ番組での、十年前の出会いについての、第三者の証言であり、本人が確認したことは一度もない。日本語で矢島について書かれた項目は、彼女は現在一般人であり、行方を追うことはプライバシーの侵害にあたる、という注意書きで始まる。Kyoudai Expressも同じ基準に従う。
2018年、鈴木の回想録『夢を追い続ける男』が通夜の一件を記し、この件の決定的な引用となる一文を残した。「番組を降りるのはいい。でも、ひと言でいいから謝ってほしかった」。今日まで、電話は一本もない、と彼は書いた。この本はあの年のほかのことも語っている。美容室、早起きの真田、声優の選定。制作の内側から出た、この件に関する唯一の資料である。
番組を降りるのはいい。でも、ひと言でいいから謝ってほしかった。
鈴木武幸(『バイオマン』プロデューサー) · 回想録、2018年2024年、シリーズ40周年に、ゴーオンレッドの古原靖久が自身のチャンネルに太田と大須賀、続いて田中と牧野を招き、イエローとの別れの舞台裏を語ってもらった。六本の動画は、いま共演者が覚えていることの最も完全な記録である。あるコメントが空気を要約した。「もうタブーじゃない」。別のコメントが結果を要約した。「四人とも、なぜ消えたのかも、どこにいるのかも知らない」。
今年2月4日、JACの養成所出身者がXに、当時は誰も触れてはいけない空気があり、事件が起きたとき百人ほどの生徒が新宿コマでのミュージカルのために集まっていた、と書いた。これに返信する形で、元JACを名乗るユーザーが、責任の半分は自分にある、と書いた。彼によれば、一年前に彼女は「来年の主役、初の女性ヒロイン」という約束でおだてられ、撮影直前になってグループの一員に格下げされた。書き手の身元は誰も確認していないが、関係者を名乗る人物の証言はこれだけであり、鈴木自身が2004年に語った、二本柱で構想された番組と、彼女に合わせて書かれた役の話と符合する。
ほかの説は、日本のファン自身が根拠なしとして列挙している。マネージャーとの駆け落ち、恋人との駆け落ち、監督との衝突、千葉への幻滅。掲示板が付け加えるのは、背景である。事務所の給料は安く、所属者から月謝を取り、朝五時に始まり、休みは週に一日だった。その後数年で去った人の名簿は長い。同じ冬に十九歳でアメリカへ渡った高木淳也、1985年に独立して事務所を構えた志穂美、1988年の渡、1989年の真田。矢島はその列の最初の一人で、断りなく去った唯一の人だった。あるベテランのファンは、1990年ごろ現場の関係者に尋ねて、返ってきた答えはひとつだけだったと言う。「語られていることは全部間違いです」。この件を要約する問いは、2024年の投稿にある。「今どうしているんだろう。あのとき、何を考えていたんだろう」。
小泉ミカはいまなお、戦闘で命を落としたスーパー戦隊唯一の正規ヒロインであり、シリーズ自身も2016年、40作目の『ジュウオウジャー』で「取り返しのつかない不幸に見舞われたヒロイン」として彼女に言及した。交代後も『バイオマン』には彼女の痕跡が残った。エンディングは第51話までミカがバイオロボを磨く場面を使い続け、東映公式サイトの図鑑ではイエローフォーはいまも初代が先に立つ。1985年に『テレビランド』に載った漫画版でも彼女は死ぬが、手を下すのはメイスンではなくメッツラーだ。スーパー戦隊がシーズン途中で俳優を失うたびに、日本のメディアはこの件に立ち戻る。2017年にそうだったし、昨年11月にも週刊誌が「41年前の謎の失踪とスーツのままの葬儀」と書いた。

内側に残ったものは、五人でのイベントのあと、2022年に牧野が書いている。途中でのイエローの交代が、何としても一年をやり遂げるという決意でチームを結束させ、それがなければ今日の絆はなかったかもしれない、と。彼女は田中澄子を「人生のパートナー」と呼ぶ。2010年にはもう半分を言っていた。すみちゃんが来てうれしかった、でも、矢島さんが残っていたらどうなっていただろうと、ときどき考える、と。
外側に残ったのは、ファンがスキャンした十七枚のスチール、1983年のプロフィール、共演者の四つの言葉、志穂美についてのエッセイ、ときどきオークションに出るJACの会報、表紙に名前の載った映画のパンフレット、そして1984年1月のアトラクションショーで彼女と阪本と大須賀がサインした色紙。子どもたちが知っていたバイオマンが、まだその三人だけだったころのものだ。2019年、パリのジャパンエキスポで五人のバイオマンが初めてそろったとき、阪本は「五人そろうのは最初で最後」と言った。イエローは田中だった。
矢島由紀は十一か月の間に画面の中で三度死んだ。1983年4月にアケミとして、12月にベル・ヘレンとして、1984年4月にミカとして。三度とも、役は誰かを守って死ぬ。女優がその場にいなかった唯一の死では、葬儀はマスクを閉じたスーツで行われ、別れの代わりにホログラムが映り、当初の脚本にあった花と、彼女が口にすることのなかった台詞が残った。彼女が書き残した言葉は、別の人についてのものだった。衣装を貸してくれた女性、女性としても人間としても最高だと思っていた人。1984年2月、スタッフとともに彼女を探しに出て、何の消息もなく戻ってきたのは、その人だった。
シャリバン
彼女が出た三つのシリーズのうち、『宇宙刑事シャリバン』はブラジルで放送された唯一の作品で、テレビ局マンシェッチを通じて、わたしたちの多くが矢島由紀を初めて見たのはこの番組だった。彼女が登場するのは、日本で1983年11月11日に放送された第36話、上原正三が書いた最終章「奇星伝」の冒頭である。ファンの間で宇宙刑事シリーズの最高の章とされる時期だ。ベル・ヘレンとベル・ビリーはイガ星の兄妹で、両親をマドーに殺されており、公式の説明では「血気盛んで頑固」とある。ビリーは同期の土屋歩で、登場した回のうちに、シャリバンをかばい、最後の息で兄と呼んで死ぬ。ヘレンは残り、シリーズは一部彼女を軸に回り始める。第38話、伝とリリィがマドーの城内での謀反に立ち向かう回に、成長した姿で戻ってくる。第39話ではドクターポルターに操られ、幼い彼女が画面に現れて、両親を失った傷が物語の中心になる。1983年12月23日放送の第42話「戦場を駆け抜けた女戦士の赤い青春」では、冥府の女剣士レイサと剣を交え、ミス・アクマとムクロビーストの不意打ちに倒れ、目を閉じる前にペンダントを伝に託す。公式の説明は、彼女がヒーローに「淡い恋心」を抱いていて、ついに打ち明けなかった、と書いている。今日シリーズを見直すファンは、ライダーの帰還とヘレンの死を描く第42話を、80年代東映の到達点のひとつに数える。

ベル・ヘレンで、彼女はキャストの一行から、ファンが雑誌で探す存在になった。バンダナ、フリンジのベスト、乱れた髪という野性的な外見と女優の柔らかい声との落差が注目を集め、専門誌は矢島と森永を「ポスト志穂美」、看板スターの二人の後継者として扱うようになった。アクションは素顔でこなし、日本語の項目によれば、稽古場でも一目置かれていた。いまも出回るベル・ヘレンの写真、黒いレザーのトップで青空の下、ぼやけた街を背に笑う一枚は、雑誌品質で残った数少ない彼女の画像のひとつである。

5chのあるファンは日付を見直して、『シャリバン』第36話の放送が1983年11月11日で、同じ月の半ばに『バイオマン』の撮影が始まっていることに気づいた。矢島は数週間前に撮った、自分が死ぬ章の放送を終えながら、やはり自分が死ぬ次の作品を始めていた。JACは持てるものすべてに彼女を入れていた。

出典: 日本語版Wikipedia、 ピクシブ百科事典、 牧野美千子のブログ、 2010年トークショーのレポート、 田中真弓のラジオ、 マグミクス、 週刊女性PRIME;鈴木武幸 『夢を追い続ける男』 (講談社、2018年);『東映スーパー戦隊大全2』(双葉社、2004年);『東映ヒーローMAX』vol.31(2009年);『スーパー戦隊 Official Mook 20世紀 1984』(講談社、2019年)。