時
キンクロン戦闘員の上に座る、『スピルバン』のダイアナ役の澄川真琴
KYOUDAI EXPRESS / コラム · 人物伝
澄川真琴 · 1964年生まれ ダイアナ · ジャパンアクションクラブ
Makoto Sumikawa · Diana de Spielvan · Perfil

足を撃たれた娘

澄川真琴は、千葉真一のジャパンアクションクラブに入るために大阪の事務職を辞め、メタルヒーローで初めて変身するヒロインとなり、高野槇じゅんの名で南光太郎の隣に立って仮面ライダーの昭和を閉じた。『時空戦士スピルバン』のダイアナと、最初は好きになれなかった衣装と、四十年後の舞台復帰をたどる人物伝。

大阪・藤井寺 1964年·JAC 14期生·ダイアナ → 白鳥玲子 → 牧村美樹·1986年4月7日

1985年の暮れ、21歳の女優が、東映京都撮影所で何か月も時代劇を撮り終えて東京に戻ってきた。マネージャーは、何の番組かも告げないまま、彼女をそのまま衣装合わせに連れていった。用意されて待っていたのは、白いトップス、水色の金属的なベスト、ミニスカート、白いブーツ、そして網タイツ。それを一目見て、澄川真琴は何が起きているのかを理解した。「スピルバンのダイアナの衣装でした」と彼女はKyoudai Expressに語る。「つまり、私の知らないところで役はもう決まっていたわけです」

東映が決めていたのは、メタルヒーローシリーズで初めて変身するレギュラーヒロインだった。『時空戦士スピルバン』で城洋介=スピルバンの相棒となるダイアナには、銀色のスーツと銃と、演じる本人が歌う専用のテーマ曲と、そしてお尻で決めるコミカルな技が与えられた。全44話のうち4話にしか出てこないその技が、いまもこのキャラクターでいちばん語られるものになっている。演じていた21歳は、監督たちから直すように言われ続ける大阪のなまりと、志穂美悦子のカンフー映画のような本物の立ち廻りをやりたいという思いを抱えていた。自分がやりたいことと現場が求めるものとの距離は彼女のキャリアを最後まで貫いていて、本人はそれを一度も隠したことがない。四十年後、1986年の自分に何と言うかと聞かれて、彼女は全部をまとめてしまうような一文で答えた。「こんなに素晴らしい作品に参加できて、あなたはとても幸運でしたよ! それから自分も褒めてあげたいです。『あの衣装でよく頑張った』と」

事務机からJACへ

澄川真琴は1964年3月31日、前方後円墳で知られる大阪府藤井寺市に、角川京世として生まれた。「角」と「川」で書く姓は「すみかわ」とも読め、そこから、同じ音に「澄」の字をあてた芸名が生まれている。府立西浦高校を出たあと、彼女は事務職に就いた。目的は十代のうちから決まっていた。「高校二年のときにテレビで真田広之さんを見てから、JACに入りたい気持ちがどんどん大きくなりました」と彼女はKyoudai Expressに語る。給料は千葉真一の養成所の月謝のためのもので、いずれ真田と同じ現場に立つのだと信じていた。

ジャパンアクションクラブは当時が全盛期だった。千葉真一が少年のころから育てた真田は、東映のアクション映画で国民的なアイドルになっており、事務所には一期あたり何千人もの応募が集まっていた。1983年、JACは養成所を開く。当時の元所生が入所金およそ50万円に木刀や道具の出費が加わると計算した月謝で、澄川は大阪の勤めを続けたまま京都校に入った。憧れは公言していたとおり、『女必殺拳』シリーズ以来の看板女優、志穂美悦子だった。その養成所の一期目から出たのがJAC14期生で、事務所の歴史でも指折りの層の厚さだった。いまや日本を代表する俳優のひとりである堤真一、のちに仮面ライダーBLACKをはじめ数十のヒーローを演じるスーツアクターの岡元次郎、真矢武、久保田香織、のちにピンクフラッシュを演じる吉田真弓、そして数年後に彼女の夫になる京都出身の青年、砂川真吾がいた。

列から彼女を引き上げた出来事は、どの舞台でも語られ、Kyoudai Expressにも同じように語られた。銃で撃たれる芝居をする課題が出た、合宿の稽古でのことだ。「ほとんどの人がお腹を撃たれて死ぬ演技をしました。私は人と同じことをするのが昔から嫌いだったので、足を撃たれて逃げようとする人を演じたんです。たまたまその場を千葉さんが見ていました。褒めていただいて、それで名前を覚えてもらえました」。千葉は覚えただけではなかった。2月で仕事を辞めて3月のJACの舞台に出るように言ったのも彼で、彼女はその日のうちに、喜んで退職を申し出た。

私は人と同じことをするのが昔から嫌いだったので、足を撃たれて逃げようとする人を演じたんです。たまたまその場を千葉さんが見ていました。

澄川真琴がKyoudai Expressに · 2026年

舞台は『ゆかいな海賊大冒険』。歌舞伎町の新宿コマ劇場でJACが打っていた海賊ミュージカルで、千葉、真田、志穂美、黒崎輝、大葉健二が名を連ねていた。1984年の公演は3月24日から4月17日まで。パンフレットを保管していたファンが数十年後に書いているとおり、養成所の所生はまだ本名で載っており、澄川の初舞台は角川京世名義だった。その年の5月に彼女はJACの正式な所属となり、生涯使うことになる名前を得る。

記録に残るかぎり最初のオーディションも1984年だった。その結果は、JACが彼女に何を見ていたかを教えてくれる。矢島由紀が『超電子バイオマン』を降り、東映が急いで二代目イエローフォーを探したとき、事務所は候補を送り込み、澄川は田中澄子とともに最終選考まで残った。2026年のスピルバン40周年のイベントで、彼女はなぜ受けたのかを説明している。千葉から「勉強のために」受けてこいと言われただけで受かる前提ではなく、自分はまだ養成所の所生だった、と。矢吹ジュンの役は田中のものになり、澄川はいまも、あれで良かったと話す。スーパー戦隊とは、その後も縁がなかった。

続く二年は、新人の売り方を知っている会社にいる、上り調子の新人の二年だった。1984年8月には、真田主演の鈴木則文監督『コータローまかりとおる!』のJACの若手の場面に、役名のないまま顔を出す。1985年4月には新宿コマ劇場に戻り、千葉が演出と主演を兼ねたミュージカル『酔いどれ公爵』で靴みがきを演じた。同じ4月、テレビでの最初のレギュラーが始まる。関西テレビの千葉のシリーズ第四作『影の軍団IV』で、忍者集団の隠れ蓑だった「べんり屋」の下働き、お松。東映京都撮影所で撮られたこの役は、最終回となる第27話で任務のさなかに死ぬ。21歳の誕生日のその日、福島民報が新人紹介の記事を載せている。記者に向けた一文が、この時期をそのまま言い当てている。「関西なまりを治すことのほか、課題は山ほど」。

ジャージ姿でハイキックをする20歳の澄川真琴。「テレビ人物図鑑」の誌面から
1985年の日本の雑誌の「テレビ人物図鑑」に載った新人時代。事務職、志穂美悦子への憧れ、そして新宿コマ劇場での初舞台 · Kyoudai Express所蔵

なまりはその後も繰り返し出てくる話題になる。『スピルバン』の現場でも監督たちはそこを指摘し続け、彼女は同じ撮影所で『超新星フラッシュマン』を撮っていた同期の吉田真弓に、標準語のアクセントを何度も確かめてもらっていた。二十年後、雑誌『東映ヒーローMAX』の座談会で、彼女は仕事を離れたあと関西弁に戻ったと認めている。いまイベントで彼女を見る人なら、最初から最後まで大阪の言葉で話すことを知っている。

衣装合わせ

『スピルバン』への起用にオーディションはなかった。『影の軍団IV』から戻ってきた彼女を、マネージャーがそのまま衣装合わせに連れていっただけだ。渡洋史がシリーズ40周年のイベントで話したところでは、プロデューサーの吉川進は相手役を自分で選んでいいと彼に言っていた。渡が挙げたのは、当時絶頂にあったアイドル歌手の早見優。吉川は理由を説明せずに断り、2020年に亡くなるまで、渡はその理由を聞かずじまいだった。断られてから数週間後、相手役はJACの後輩になると知らされる。そして舞台の上で、本人を前に、あれは正しい選択だったと渡ははっきり言った。

二人は彼女が事務所に入ったときからの顔見知りだった。11期生の渡は『宇宙刑事シャリバン』を務めたあと、『巨獣特捜ジャスピオン』のブーメラン役という短く不本意な出番をはさんで、主役に戻ってきたところだった。2021年、渡はXに、共演の二年前にあたる1984年に東京ディズニーランドで撮った二人の写真を上げ、あのころからこの子とは何かの縁を感じていた、と書き添えている。澄川のほうは、JACの上下関係が求めるとおりの準備をした。起用が決まるとすぐ、ジャスピオンの黒崎輝の付き人になり、前作の現場に通って東映の撮影がどう回っているのかを覚えたのだ。ジャスピオンのアンリを演じた塚田きよみと会うのは、ずっとあとのことになる。

『スピルバン』は1982年の『宇宙刑事ギャバン』から続く系譜の五作目で、東映はこれをその形式の最後の一本として扱っていた。ギャバンから書き続けてきた脚本家の上原正三は、このとき作家生活二十年を迎え、この番組を自分がやってきたことの総和とみなした。渡によれば、現場では「集大成」という言葉が使われ、ここから先は編成を一度リセットするのだと語られていた。歴史に残った新機軸はダイアナだった。『宇宙刑事シャイダー』のアニー以来、ヒロインはなぜ変身しないのかとファンは問い続けており、その答えがダイアナレディの銀のスーツだった(ブラジルの吹き替えでは「レディ・ダイアナ」)。ヘレンレディのものと同じで、違うのは右腰のレディスナイパーのホルスターだけ。18歳、洋介と同じクリン星の生き残りで、白い三菱ミラージュに乗り、変身する前は得意技を持っていた。

その技は、背中から跳んでキンクロン戦闘員の上に座り込む動きで、全44話のうち4話にしか出てこない。それでも、このキャラクターでいちばん語られる記憶になった。2026年、澄川はそれがどこから来たのかを話している。この話は、どんな経歴書よりも彼女をよく説明する。動き自体は脚本にも当初の設定にもなく、JACのアクション監督で、いまは同社の社長である金田治の思いつきと指示から生まれた。彼女はそれが嫌いだったが、断ることはできなかった。受け身を取るスーツアクターはおおむね決まっていたものの、撮影ごとに誰が技を受けるかは、JACの若手のあいだのじゃんけんで裏で決められていた。みんながやりたがったからだ。客席にいたファンは、まるで高校生の話のようだと書いている。Kyoudai Expressに対して、彼女は金田については穏やかだった。入ったばかりの新人で、言われたとおりにやるのが自然に思えた、と。ただ2005年の『東映ヒーローMAX』では、もっとはっきりしていた。金田はダイアナに「女性らしい」アクションを付けるが、自分は「カンフー映画のような」立ち廻りがやりたかった、と。2023年、中野のトークショーで、スピルバンに頼らず自分だけで敵を倒したくはなかったかと聞かれたときも、彼女は昔からの一点、『女必殺拳』の志穂美悦子を挙げた。

倒れたキンクロン戦闘員の上に座り、Vサインをするダイアナ役の澄川真琴
キンクロン戦闘員の上に座るダイアナ。全44話のうち4話にしか出てこないのに、このキャラクターでいちばん語られる記憶になった技 · 写真:東映

1986年に徳間書店から出たシリーズの写真集で、彼女は最初は好きになれなかったこと、そしてある時点で「ひらきなおっちゃいました」と話している。紫のスパッツを試したら、網タイツより脚が太く見えると自分で思ったからだ。渡はその過程を、彼女が吹っ切れた、とまとめる。本人が付け加えるのは、恥ずかしさより寒さのほうがこたえたということで、あの衣装は雪のロケよりも東京都心の冬のほうが冷えた。2026年、4Kで修復されたシリーズを映画館のスクリーンで見たとき、選ばれたのが海の回ではなく第41話だったので、彼女は声に出して喜んだ。「水着回じゃなくて良かった」。

寒さでいちばん語り草になっているのは第3話、脚本がオーストラリアの海と呼ぶ場所でスピルバンとダイアナが泳ぐ場面で、渡が2016年にブログで書いている。演出側の最初の案は、アダムとイブのように二人が裸で泳ぐというもので、事務所がこれを止めた。そこで小笠原猛監督は、宇宙的で金属的な、銀色の水着を探し始めるが、1986年の市場にそんなものはなく、画面に映っているのはグレーだ。撮影は2月の二日間。水平の画は神奈川県の真鶴で、高い位置からの画は千葉の海岸の御宿で撮られた。水は澄んでいて、気温は冬のそれだった。フィルムを交換するあいだ、二人は海の中の岩に上がり、一枚の毛布にくるまって待っていた。

ダイアナには専用の曲があった。田中公平が作曲し、演じる本人が歌う「ダイアナ・アクション」で、6話で流れる。楽譜を受け取るまで、洋介とダイアナの関係は仲のいい兄妹のようなものだと思っていた、と彼女は後年語っている。まぶしい人を見るたびに胸が光る、という歌詞を読んで、結局この二人は恋人同士なのだろうかと考えたという。いまも自分のイベントの冒頭でこの曲を歌い、立ち廻りとポーズをつける。

現場では、誰もフィルムに収めなかった特技で評判を取った。数十年後に彼女と再会したファンが書き残しているところでは、『スピルバン』のころの澄川は『Dr.スランプ』のロボット少女アラレちゃんの物真似をしていて、あまりに似ているので渡や共演者がいつも褒めていた。声が、本家の声優である小山茉美に近かったのだという。この特技は、数か月後に使い道を得る。

ダイアナレディのスーツの中で

ダイアナレディのアクションはJAC12期生の蜂須賀昭二で、のちにファイブピンクやブルースワローも演じる人だった。マスクのアップは同僚二人、渡辺元子と関誉枝恵が入っていた。澄川自身も最初のころと終盤にアップ用のスーツを着ており、その経験はこの仕事への敬意を残した。視界は狭く、スーツは硬く、彼女に言わせれば閉所恐怖症の人には無理だ。「マスクをつけたまま感情を表現することが、本当にどれだけ難しいかを知りました。あの仕事ができるスーツアクターの方々が、どれほどすごいのかが分かりました」

蜂須賀については、東映の現場を知っている人にしか分からないやり取りを話している。「蜂須賀さんと動きについて話し合うことはありませんでした。たぶん向こうが私の動き方を見て、真似してくださっていたんだと思います。私のほうも、きれいだなと思う動きがあると、こっそり真似していました。出来上がった映像を見て、『わあ、優雅!』と思いました。私より女らしいなと思いましたね」

出来上がった映像を見て、『わあ、優雅!』と思いました。私より女らしいなと思いましたね。

ダイアナレディのスーツアクター、蜂須賀昭二について語る澄川真琴

二話の筋を変えた事故は、その年の半ばに起きる。澄川がJACの稽古で脚を骨折し、制作は女優に合わせてシリーズを書き直した。第29話ではヘルビラがヒロインの太ももに毒の刃を突き立て、続く二話でダイアナはほとんどの時間をベッドの上で過ごす。引きの画は吹き替えが入った。2025年のパリのジャパンエキスポで、彼女はこの件を、現場で起きたことを脚本が吸い上げていく東映の仕事の仕方の例として話している。そのすぐあとの第31話ではヘレンがヘレンレディに変身し、この系譜で唯一、男性一人と女性二人のチームを持つ作品になった。

その場で作った芝居も、そのまま完成版に残っている。渡が挙げるのは、二人が組手をする第2話の締めくくりと、原宿を二人で走る第22話の締めくくり、そして巨大なハートの前に鎖でつながれたダイアナにデスゼロ将軍が結婚を申し込む第41話の場面での、彼の反応だ。彼女はそれを、緊張がなかったからだと言う。渡は先輩だったが、二人はJACに入ったときからの付き合いで、何でも話せた。敵側のベテランとの接点は少なかった。水木一郎と曽我町子は別の日に撮っており、新人だった彼女はどちらにも話しかける勇気が出なかった。それを、彼女はいまも悔やんでいる。

黒い革ジャンで赤いオフロードバイクにまたがる澄川真琴
革ジャンでオフロードバイクに。1980年代のスチールから · ファン所蔵、Kenzo Danによる修復

『スピルバン』は1987年3月9日に終わった。関東地区の平均視聴率は11.2%で、前年の『ジャスピオン』とほぼ同じ。7月の最高16.6%は、メタルヒーローの歴史でも四番目までに入る数字だった。宇宙刑事の型がまだ客を掴んでいることを、この数字は示していた。落ち込んだのはそのあとで、型を捨てた次作『超人機メタルダー』は平均8.2%で年を終える。その年、彼女は東京郊外の西武園ゆうえんちでショーに立ち、特撮の外から声がかかった。OVA『デビルマン』の監督、飯田つとむが『スピルバン』のファンで、不動明の恋人、牧村美樹の声に彼女を呼んだのだ。建前はオーディションだったが、話は彼から直接来ていた。『超人機メタルダー』では第25話と第26話に、元JACのヒーローだけで組まれた暴走族の一員、ミキとして顔を出す。大葉健二、春田純一、渡、田中澄子が並ぶその場面が、事務所の一員としての最後の仕事になった。彼女は1987年にJACを離れる。理由を公にしたことはなく、2023年のトークショーでは話したものの、記録を書いたファンはそれを文字にしないことを選んだ。そのあとに来たものを、彼女はKyoudai Expressにこう書いている。「JACを辞めて実家に戻ったとき、正直に言って決断を後悔しました。毎日が退屈でした」

白鳥玲子

大阪の実家から彼女を連れ出したのは偶然だった。1988年、ダイアナレディのスーツに入っていた友人の渡辺元子が、彼女を東映大泉撮影所の見学に誘い、廊下でプロデューサーが彼女に気づいたのだ。『仮面ライダーBLACK RX』が動き出していて、ヒロインの役がまだ決まっていなかった。「撮影所で仮面ライダーのプロデューサーさんに声をかけられて、本当に驚きました。『こんな奇跡が本当にあるんだ!』と思いました」。両親が良い顔をしないかもしれないと分かったうえで白鳥玲子を引き受け、その選択を間違いだと思ったことは一度もないという。

条件は改名だった。一度JACを離れている身に、プロデューサーのその注文は分かりにくかったが、また撮影の現場に立ちたい気持ちのほうが強く、彼女はこの仕事を出直しとして引き受けた。選ばれた名は高野槇じゅん。高野山の霊木で、まっすぐに伸びる木にちなんでいる。一段上へ伸びていくという意味だ、と彼女は『東映ヒーローMAX』で説明している。役と一緒に、JACへの復帰もついてきた。

白鳥玲子は南光太郎の恋人で、20歳のフリーカメラマン。東映は明るく、はっきりしていて、好奇心が強い人物として紹介していた。『BLACK RX』は1988年10月から1989年9月まで放送され、澄川は全47話のうち41話に出ている。玲子が光太郎の正体を知り、隣で戦うために空手を習い始める第29話もそのひとつだ。このシリーズが仮面ライダーの昭和を閉じたので、その意味で彼女は昭和のレギュラーヒロインの最後の一人になる。1989年7月には新宿伊勢丹の東映まんがまつりでRXのショーの司会を務めた。1990年から1991年にかけては、高野槇じゅんのまま、『デビルマン』の二本目のOVAとコメディ『CBキャラ永井豪ワールド』で再び牧村美樹の声を当て、『特警ウインスペクター』の一話でアマゾネスのナビアを演じ、フジテレビとサバンの合作で土曜の朝に放送され、その後ビデオ化されなかった『人魚姫マリーナの冒険』では主役の声を務めた。二十年以上続く空白の前の、最後のクレジットだった。

トレンチコート姿で、カメラとストロボを手に浜辺に立つ澄川真琴
トレンチコートにカメラとストロボ。1980年代の宣材写真から · ファン所蔵

空白の理由は、14期生の同期で、JACブラザーズで踊り、いまは京都でアクションを教えている砂川真吾との結婚だった。彼女は二度目にJACを離れ、京都に移って子どもを育てた。この時期の唯一の公の場が2005年の『東映ヒーローMAX』で、自分のキャリアを振り返った座談会だ。長女の樹里はインディーズの歌手になった。澄川がXで持っているアカウントは、JAC、ダイアナ、玲子、ミキのあいだに置かれたいまの仕事を、自分の経験を夢の実現に変える方法を分かち合うことだと書いている。占いの鑑定も行い、イベントの主催者には電話でも見る。2024年からは、ほぼ毎晩、アプリのColorSingで「まこっちゃん358」の名で歌っていて、一回の配信で数百人が聴く。

戦士の衣装でしゃがむ澄川真琴の直筆サイン入り写真。サインは画面の上に書かれている
戦士の衣装の直筆サイン入り写真。献辞は画面の上に書かれている · ファン所蔵

復帰

特撮のイベントへの復帰は2014年9月、女優としての最後の仕事から二十三年後だった。渡洋史が『宇宙刑事NEXT GENERATION』の公開に合わせて大阪・天王寺で二回のトークショーを行い、大阪へ向かう新幹線の中で書いたブログに、ファンへの一言を残している。「あの伝説のヒロインが夜に来るらしい。夜しか来られない。お見逃しなく!」。彼女は夜の回にサプライズゲストとして現れた。隣には、シャリバンのアップのスーツアクターだった清水朗がいた。二人とも何も変わっていなかった、と渡はあとで書いている。大阪を選んだのは、自分が育った関西のファンに恩を返すためだったという。

続く数年は、間隔の空いた出演が続く。ギャバンとシャリバンのスーツアクターだった村上潤と渡が出た中野のトークショー、インディーズの特撮映画、同期の真矢武のチャンネルに娘と出たトレーニングの動画。やがてそれが日常になっていった。『バトルフィーバーJ』のミスアメリカ、森下雅子と並んだ中野のトークショー「ヒロインと語る、夢のかなえ方」で、彼女はファンがいちばん繰り返す一文を残している。「出会いは運命。前向きで行けば次に繋がるし楽しくなる」。同じイベントでは朗読も披露した。子どもたちに長年本を読んできたから身についたのだ、と話している。

出会いは運命。前向きで行けば次に繋がるし楽しくなる。

澄川真琴 · 中野のトークショー、2023年

その後、彼女は自分のイベントを作った。大阪と横浜のライブバーで開く「まこっちゃん祭り」というファンの集まりで、オリジナル曲を歌い、「ダイアナ・アクション」を立ち廻りと例の技つきで歌い、自分の歴史の中からゲストを迎える。ここで初舞台を踏んだ娘の樹里。ギャバンのエンディングを歌い、大葉健二に憧れてJACに入ったと客席に話した夫。小島裕子、吉田真弓、渡辺元子、そして渡本人。ファンへのサインは、澄川真琴と高野槇じゅん、二つの名前で書く。ジャーナリストの鈴木美潮が新宿で毎年開く1980年代のヒロインの集まりでは、田中澄子や大石麻衣といった元JACの面々と生で殺陣を見せる。渡とのファンミーティングでは、二人でキンクロン戦闘員との立ち廻りを演じ、「行くぞダイアナ」「OK」の掛け合いでダブル結晶のポーズをやり直す。

ネガの4Kスキャンからの修復は、40周年の年に東映ビデオがブルーレイで出した。二人はそれを機に秋葉原の映画館に出て、ファンと並んで本編を見直している。スーツの赤がくっきり出て、初めてこの作品を見るような感覚だった、と渡はあとで書いた。彼女が持ち帰ったのは別のものだった。セメントとナパームの爆発、そして俳優本人がやっている立ち廻り。Kyoudai Expressには一文でまとめている。「これぞ特撮!」。ブルーレイの特典には、2005年のDVDのために収録された二人の対談が入っている。映像に残る、このコンビの長いインタビューはこれだけだ。

ダイアナとして日本の外に出たのも渡と一緒だった。2023年、サンパウロのアニメフレンズで、彼女は大石麻衣、塚田きよみ、筒井巧、橋本巧、そして渡とともに、アニェンビの会場で四日間を過ごした。特撮の女性たちをめぐるパネルでも、記者会見でも、ポッドキャスト「Inteligência Ltda.」でも、あの衣装と折り合いをつけた人の落ち着きでダイアナを語り、37年ぶりに渡とダブル結晶のポーズを決めた。彼女が持ち帰ったのは、別のものだった。「初めてブラジルのイベントに参加したとき、ブラジルのファンの皆さんが涙を浮かべて、あんなに強い気持ちを話してくださるのを聞いて、とても感動しました。特撮はなんて素晴らしいんだろうと、あらためて思いました」

ブラジルのファンの皆さんが涙を浮かべて、あんなに強い気持ちを話してくださるのを聞いて、とても感動しました。特撮はなんて素晴らしいんだろうと、あらためて思いました。

2023年のアニメフレンズについて、澄川真琴がKyoudai Expressに

二年後、二人はヨーロッパ最大の日本文化の見本市、パリのジャパンエキスポに招かれた。『スピルバン』は現地で、ギャバンにあたる『X-Or』の流れで「クラブ・ドロテ」の枠の中で放送されていた。彼女が「ダイアナレディ」の名は、シリーズ開始の一か月後にあたる1986年5月に来日したダイアナ妃への間接的な敬意ではないか、という説を披露したのはここだ。公式に確かめられたことは一度もない、と断ったうえでのことだった。そして特撮を、勇気と正義と助け合いと責任を教える教育番組だと定義した。シリーズが終わったあとのスピルバンとダイアナとヘレンの人生をどう想像するかと聞かれると、質問を客席に返した。復活を望む声には、登場人物たちの子どもへバトンを渡すためなら戻りたい、と答えている。

シェア:

出典: 澄川真琴のKyoudai Expressインタビュー (2026年9月)、 日本語版ウィキペディア、 渡洋史のブログ (2014年・2016年)、 渡洋史のX、 秋葉原UDXの上映会のファンの記録 (2026年9月5日)、 Heroshock (ジャパンエキスポ2025)、 東映ビデオ。ほかに中野のトークショー(2023年)とまこっちゃん祭り(2024年・2025年)のファンの記録、『東映ヒーローMAX』vol.12(辰巳出版、2005年)、『時空戦士スピルバン』写真集(徳間書店、1986年)、福島民報1985年3月31日付、ピクシブ百科事典。