2026年9月5日の夜、秋葉原UDXシアターで、澄川真琴は4Kで蘇ったダイアナを初めてスクリーンで見た。その一週間後、Kyoudai Expressの質問に、JACのこと、千葉真一のこと、ダイアナレディのスーツのこと、そして白鳥玲子としての復帰について答えてくれた。
上映会の名は「アークインパルス」。主人公の必殺技の名を冠したこの回に、『時空戦士スピルバン』の二つの顔が秋葉原UDXシアターに揃った。スピルバンの渡洋史と、ダイアナの澄川真琴である。1986年6月から翌年3月までテレビ朝日系で放送された同作は今年で40周年。この上映が記念企画の幕開けとなり、10月14日に東映ビデオから発売されるBlu-ray BOX(ネガの4Kスキャンから復元した全44話)への前奏曲にもなった。澄川はその夜、ひとつの感想を胸に会場を後にした。本人の言葉を借りれば、セメント爆発にナパーム、俳優自身による立ち回り。「これぞ特撮」だった。
ダイアナの前には、千葉真一のアクションクラブに入る資金を貯めるOLがいた。澄川は1983年、ジャパンアクションクラブ(JAC)の14期生として京都養成所に入る。合宿の稽古で、全員が腹を撃たれて死ぬ芝居をする中、ひとりだけ足を撃たれて逃げた。それが創設者の目に留まった。本ページに掲載した1985年の雑誌コラム「TV人物図鑑」の切り抜きには、20歳の澄川がハイキックを決めており、OL2年、ランニング、トランポリン、新宿コマ劇場での初舞台といった経歴が添えられている。そこから映画『コータローまかりとおる!』、『影の軍団IV』のレギュラーを経て、オーディションもないまま衣装合わせに連れていかれた。衣装を見て初めて分かった。ダイアナの服だった。
ダイアナはメタルヒーローシリーズ初のレギュラーヒロインで、城洋介の相棒としてダイアナレディに変身する。アクションシーンでスーツに入ったのはスーツアクターの蜂須賀昭二。澄川は、自分を真似る男性の動きを真似て、より女の子らしい動き方を覚えたと笑って振り返る。スピルバンの後は『超人機メタルダー』へのゲスト出演、JAC退団、そして思いがけない声がかかり、高野槇じゅんの芸名で『仮面ライダーBLACK RX』の白鳥玲子を演じた。結婚を機に長く画面から離れたが、2014年にイベントへ復帰。3年前には初めてブラジルを訪れ、ダイアナを語りながら涙するファンに出会った。以下の対話は、「また呼んでください」という言葉で締めくくられる。
01四十年ぶり、スクリーンのダイアナ
「ラッキーだったね、素晴らしい作品に出演できて」
澄川真琴、1986年の自分へ今年で『時空戦士スピルバン』は放送40周年を迎え、9月5日には秋葉原UDXシアターで渡洋史様と「アークインパルス上映」に登壇され、10月14日にはBlu-ray BOXも発売されます。4Kネガスキャンで蘇ったダイアナをスクリーンでご覧になったとき、1986年の撮影現場にいたご自身に、どのような言葉をかけたいと思われましたか。
5日に大画面で時空戦士スピルバンを見て、素直に面白い‼と思いました。今では見られなくなった、セメント爆発やナパームなどがふんだんに使われており迫力がありましたね。
渡さんも私もJAC出身なので生身のアクション、立ち回りで、これぞ特撮‼だなと感動し、改めて全話見たいと思いました。
あの頃の自分にかける言葉としたら、ラッキーだったね、素晴らしい作品に出演できて、ですかね。あの衣装で良く頑張ったねと褒めてあげたいです。
02OLからJACへ
「人と同じ事をするのが嫌いなので、足を撃たれて逃げました」
千葉真一が見ていた、銃で撃たれるリアクションの稽古についてOLを経て、1983年にJACの京都養成所に入られたそうですね。安定した仕事を辞めてアクションの世界へ飛び込むことは、大きな決断だったと思います。何がそこまで澄川様を動かしたのでしょうか。また、養成所時代の千葉真一様との間で、今でも忘れられない出来事があれば教えてください。
高校2年生の時に真田広之さんをテレビで見た時からJACに入りたい気持ちが強く、絶対仲間になるんだと言う思いから、就職したのもJACに入る資金を貯める為でした。
元々、体を動かす事が大好きで志穂美悦子さんにも憧れていた事からアクション俳優になる夢を叶える為頑張りました。
千葉さんとの思い出と言えば、養成所の合宿の時に銃で撃たれるリアクションという題材で、ほぼ全員がお腹を撃たれて死ぬリアクションをしていて、私は人と同じ事がするのが嫌いなので足を撃たれて逃げたら、丁度、千葉さんが見にこられていて褒められ、名前を覚えてもらうきっかけとなりました。
そして、3月にあるJACの舞台に出るため2月で仕事辞めなさいと直に言われ、喜んで退職しました。
その後、トントン拍子で役が決まったり、影の軍団IVのレギュラーが決まったりと、常に人と違う事をしてたのが良かったのかラッキーだったと思います。

1980年代のJACには、渡辺元子様、吉田真弓様、関誉枝恵様など、同世代の女性団員がいらっしゃいました。当時、女性がJACで進むことのできる道には、どのようなものがありましたか。また、男性団員との間で、扱いや稽古内容に違いはありましたか。
JAC14期生は、特訓組(俳優)とスタント組に別れてたので俳優組は顔出しでドラマや舞台、映画出演、スタント組は特撮のスーツアクターやドラマの吹き替え等、別れていました。
練習は男女関係なく一緒でした。
練習の最後にある補強(筋トレ)がとにかくキツかったです(笑)
03ダイアナ
「知らない内に決まっていました」
衣装合わせがそのまま配役になった話ダイアナ役は、どのような経緯で決まったのでしょうか。オーディションの時点では、「クリン星の生き残りの少女」という設定について、どこまで説明されていましたか。ダイアナは18歳という設定で、明るく行動的でありながら、苦悩する洋介を支える優しさも持った役でした。演じる上で、「ここだけは崩さない」と決めていた、役の芯のようなものはありましたか。
ダイアナ役はオーディションではなく、影の軍団IVの出演が終わって東京に戻ってきたらマネージャーに衣装合わせに連れていかれて、それがスピルバンのダイアナだったので、知らない内に決まっていました。
ダイアナの役作りについては、メタルヒーロー初の女性という事で強さはもちろん、幼なじみのスピルバンを支える明るい子をイメージしていました。
アクション監督は金田治様でした。後年、澄川様は「もっとカンフー映画のような、殴り合うアクションがやりたかった」とお話しされています。当時、女性らしいアクションを求められることに対して、現場ではどのように向き合っていましたか。
アクション監督が金田社長で、私は入ったばかりの新人でしたし、指示通りに動くのが当たり前だと思っていたので精一杯やっていました。
立ち回りも大好きだったので、アクションの撮影になるとテンションが上がってたのを覚えています。
04ダイアナレディのスーツの中で
「面をつけて感情を表現するのは本当に難しい」
アップ用のスーツについてダイアナレディは、アクションを蜂須賀昭二様、アップを渡辺元子様や関誉枝恵様が担当し、番組初期と終盤の一部では、澄川様ご自身もアップ用スーツを着用されたと記録されています。実際にスーツを着て演じたときの感覚を教えてください。視界や呼吸、動きやすさはいかがでしたか。
ダイアナレデイはアップ用しか着た事がないのですが、視界は狭いし固くて動きにくかったですね。閉所恐怖症だと絶対無理です。
面をつけて感情を表現するのは本当に難しい事だと思います。それをこなしているスタントの皆さんはほんとに凄いと実感しました。
スーツアクターの方々と、ダイアナレディの動き方や癖について話し合うことはありましたか。また、女性ヒーローのアクションを男性である蜂須賀昭二様が担当されましたが、完成した映像をご覧になり、驚いたことや学んだことはありましたか。
蜂須賀さんと話し合う事はなかったですね。私の動きを真似して動いて下さってたのだと思います。
蜂須賀さんの動きでかっこいいと思った動きは、こっそり真似していました(笑)
完成した映像を見た時は、あら可愛いって私より女の子っぽいと思いました。
05渡、水木、曽我
「今でも先輩後輩ではありますが、当時と変わらず交流させて頂いてます」
渡洋史について主演の渡洋史様は、すでに『宇宙刑事シャリバン』を経験されていました。撮影現場で、渡様に最も助けられたことは何でしたか。また、40年を経た現在、お二人の関係は当時からどのように変わりましたか。
渡さんとはJACの先輩ですが入団当初からご縁があり、緊張すること無くダイアナとしてお芝居出来ました。
何でも話せるので、当時もアドリブでやり取りも多かったです。そういう面でも私は恵まれてました。
今でも先輩後輩ではありますが当時と変わらず交流させて頂いてます。
主題歌を歌われた水木一郎様が、ベン博士として出演されました。撮影の合間の水木様は、どのような方でしたか。また、女王パンドラを演じられた曽我町子様の、現場でのご様子も覚えていらっしゃいますか。
水木一郎さんと曽我町子さんは悪役だったので、基本、撮影の日が違うのでお話しした事があまり無いんです。
私が新人だった事もあり、自分から話しかけると言う事はできなかったですね。今、思えばもっと交流しとけば良かったと思います。
06白鳥玲子としての再出発
「こんな奇跡があるのだと」
『仮面ライダーBLACK RX』出演のきっかけについて『超人機メタルダー』へのゲスト出演後、一度JACを離れられました。その後、渡辺元子様と東映撮影所を訪ねたことがきっかけとなり、『仮面ライダーBLACK RX』の白鳥玲子役に選ばれ、「高野槇じゅん」と改名して復帰されています。その芸名には「まっすぐ上に伸びる」という願いを込められたそうですが、当時はどのようなお気持ちで再出発されたのでしょうか。
1度JACを辞めて実家へ帰った時は、正直、やめた事を後悔してました。毎日がつまらなくて。
なので、撮影所でライダーのプロデューサーから声をかけられた時はビックリしました。こんな奇跡があるのだと。
いろいろ考えた結果、自分に正直に後悔しない人生を送りたい気持ちを最優先し、親に叱られるのを覚悟で白鳥玲子の役をお受けしたんです。その選択は間違いではなかったです。
一度辞めてるのでプロデューサーから名前を変えるように言われた時は戸惑いましたが、撮影の仕事をしたい気持ちが強かったので心機一転撮影に臨みました。今でも、その選択は間違ってなかったと思います。
07ブラジルのファンへ
「また、ぜひブラジルへ呼んで下さい」
澄川真琴ご結婚を機に引退され、2014年から再びイベントや映像の現場に戻ってこられました。ブラジルでも『スピルバン』は吹き替えで放送され、ダイアナは今も多くのファンに深く愛されています。何十年もの間、澄川様を待ち続けてきた海外のファンへ、今伝えたい言葉をお願いいたします。
3年前に初めてブラジルのイベントに参加させて頂いた時、ブラジルのファンの方々の涙ながらに語られる熱い思いを聞いて感動し、特撮の素晴らしさを再認識しました。
40年経った今でも変わらず応援してくださって私はほんとに幸せ者です。
また、ぜひブラジルへ呼んで下さい。ありがとうございました。