風
城を背にファイティングポーズをとる1970年代の宮内洋
KYOUDAI EXPRESS / コラム · 人物伝
宮内洋 · 1947年生まれ ミスター・ヒーロー · 東映
Hiroshi Miyauchi · 仮面ライダーV3・快傑ズバット

東映のミスター・ヒーロー

トム・クルーズが「スタントは自分でやる」を看板にする何十年も前から、『仮面ライダーV3』『秘密戦隊ゴレンジャー』『快傑ズバット』『ジャッカー電撃隊』の宮内洋は吹き替えなしでバイクを走らせ、台本以上の火薬を現場に求めていた。

東映ニューフェイス、1968年·『キイハンター』、TBS·風見志郎 → 新命明 → 早川健 → 番場壮吉 → 正木俊介·1973年2月17日

宮内洋が風見志郎として『仮面ライダーV3』に登場したのは1973年2月、25歳のときだ。以来、この役を手放したことはない。2024年、双葉社のインタビュー連載「THE CHANGE」でこう語っている。「僕にとって転機となる作品は『仮面ライダーV3』」。

1947年6月14日生まれ。『仮面ライダーV3』(1973〜74年)の風見志郎、『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975〜77年)の新命明/アオレンジャー、『快傑ズバット』(1977年)の早川健を演じ、その後『ジャッカー電撃隊』(1977年)の番場壮吉/ビッグワン、『特警ウインスペクター』『特救指令ソルブレイン』(1990〜92年)の正木俊介本部長へと続く。『仮面ライダーX』『仮面ライダーストロンガー』『仮面ライダー(スカイライダー)』や映画『全員集合!7人の仮面ライダー!!』(1976年)にも風見志郎として客演し、昭和仮面ライダーシリーズの最多出演俳優となった。ついた呼び名は「ミスター・ヒーロー」。

2001年から2003年まで、宮内は東映ヒーローネットで月例のコラムを持ち、「会員番号4410番の宮内洋」と名乗った。コーナー名は「ひとりごと」。『仮面ライダーV3』の怪人を一体ずつ、そして『快傑ズバット』全32話を一話ずつ、LDで見返しながら振り返っている。

丹波哲郎と千葉真一

中学を出たばかりの宮内は、父の知人だった丹波哲郎を訪ねた。子供のころから役者向きだと感じていたと、双葉社に語っている。丹波の答えは「まだ上があるだろ」。まずは高校を出ろ、ということだった。

1968年、東映ニューフェイスに第12期生として合格し、丹波の事務所・丹波プロダクションに所属する。最初の仕事は東映の任侠・不良もの。1969年の『長崎ブルース』『組織暴力 兄弟盃』、『不良番長』シリーズ(1970〜71年)、『女番長』シリーズ(1972〜73年)に出演し、テレビは1969年、関西テレビの時代劇『あゝ忠臣蔵』が最初だった。

1971年にはテイチクから歌手としてシングル「夜霧の世界」も出したが、ほとんど売れなかった。本人いわく、顔を出したキャンペーンでようやく数百枚がはけた程度だったという。

アクションを身につけたのは、1968年から73年まで放送されたTBSの『キイハンター』だ。宮内は壇俊介役で、丹波、千葉真一と共演した。千葉から受けた助言を、2023年のマイナビニュースのインタビューで紹介している。

どうせ見るならカメラマンが構えているカメラのレンズの裏側から見てみろ

千葉真一、『キイハンター』の撮影現場で宮内洋に

宮内はこの言葉を「今もなお大切な宝」と呼ぶ。1メートル離れていても、動きを合わせればカメラの上では本当に打ち合っているように見える。レンズのトリックはそこで覚えた。

『キイハンター』では、やられている壇のもとに千葉演じる風間が駆けつける。宮内はこの型を『V3』に持ち込み、コラムで「やられの美学」と名付けた。「怪人が出てきて、すぐ『変身』ではなかなかそうはならず、故の『やられの美学』となったのだ」。

V3

『仮面ライダーV3』はオーディションなしで決まった。福島・裏磐梯で『キイハンター』のロケ中、毎日放送の東京支社へ行くよう指示され、面接とも知らずに待たされたうえで、アクションはできるか、バイクに乗れるかと聞かれた。空手三段、柔道初段に『キイハンター』の立ち回りの経験もある。福島に戻った翌日、次の仮面ライダーに決まったと知らされた。二度目に局を訪ねたときのことを、マイナビニュースにこう語っている。「遠くのほうから『来たよーーー!』って、阿部征司プロデューサーの大きな声が聞こえてきて」。

師匠の丹波は、弟子がずっと着ぐるみの中に入る役だと思い込み、「やめとけ」と言った。変身前の主役だと説明すると、「ならいいや。やれよ」。

仮面ライダーを知らなかった宮内は、ビデオテープを買って藤岡弘、の1号を初めて見た。千葉仕込みの自分なら変身前のアクションをもっと盛り上げられると考え、スタッフに素面の場面を増やすよう頼み込んだ。双葉社には、片手でバイクを運転する練習から始め、次に両手を離してもバランスを保てるよう練習したと語っている。素面とスーツの割合は、当初の4対6からやがて7対3へと逆転した。最初の数週間は、『女番長』の撮影で髪が短かったためカツラをかぶっていた。「宮内洋はカツラだ」という噂が広まり、カツラメーカーからCMの依頼まで来たが、丁重に断ったという。

バイクにまたがり握手する二人。右が宮内洋
右が宮内洋。1970年代の宣材写真 · 写真:東映

変身の掛け声を「ブイスリー」から「ブイスリャー」に変えたのも宮内自身だ。ア段の音のほうがエコーがきれいに響くからだという。ロケ地の移動ではトラックで運ぶはずの撮影用バイクに自分で乗り、ト書きにただ「走る」とある場面も、必要以上の火薬を使う「走り」に変えさせた。火薬が苦手だった『仮面ライダーX』の速水亮は、そんな先輩を「変わってるよなぁ」と評している。

本人が挙げるシリーズ屈指の危険な場面は第22話。炎のカーテンの下をくぐる撮影の途中で、風向きが変わった。2017年のマイナビニュースで「進んでも進んでも全く炎が途切れない!」と振り返っている。立花藤兵衛役の小林昭二は、調子に乗りがちな主役を叱り、助言し、公私ともに「おやっさん」だった。

『V3』の人気で、宮内は日曜・祝日、正月、春休み、夏休み、ゴールデンウィークと、全国のデパートやスーパーの屋上を飛び回った。V3が出ず「風見志郎がやって来る」とだけ銘打ったショーもあり、多いときには全国100か所で同時にショーが開かれていたという。自転車、ラムネ、カレーと、商品も次々に出た。後年、街で「あ、仮面ライダーだ」と声をかけられても、子供のように「仮面ライダーV3!」と言い返すのだと、本人がコラムに書いている。

主題歌「戦え!仮面ライダーV3」も宮内が歌った。菊池俊輔のもと、ろくにリハーサルもないまま録音が始まり、テスト版を歌っていた水木一郎が宮内を廊下に連れ出して、メロディーを少しずつ教えた。のちにイベントの合間に本気の喧嘩をし、そこから生涯の親友になる。2022年に水木が亡くなったあと、宮内はマイナビニュースで語った。「マジンガーZや仮面ライダーV3をはじめとするアニメ・特撮作品が多くの人々から愛されているのは、水木一郎が生涯かけて歌い続けてくれたおかげですよ」。

ゴレンジャー

1975年、東映はまずアカレンジャー役を宮内に打診したが、宮内は断った。マグミクスによれば、チームの中で命令されて動くことに引っかかりがあったという。続いてアオレンジャー役の話が来たとき、説得に乗り出したのは原作者の石ノ森章太郎本人で、これが二人の初対面だった。石ノ森はこう例えた。

アカレンジャーが宮本武蔵で、アオレンジャーが佐々木小次郎

石ノ森章太郎、宮内洋を説得して

当時の宮内はほかに三本のレギュラーを抱え、『ゴレンジャー』に割けるのは週に一日程度。そこで新命明はバリブルーンの操縦席にいる場面が多くなり、スタジオ撮影でまかなった。アフレコだけの回も十本ほどある。マグミクスには「新命明のときは立ち姿にいつも気をつけていました」と語っている。

宮内は役ごとに体の使い方を変えた。風見志郎は腰を落として相手に向かい、新命明は怪人と同じ目線に立つ。早川健と番場壮吉は上から余裕をもって物を言う。早川健の肩をすくめる仕草は、『V3』も放送されていたハワイで生まれた。『ゴレンジャー』のころ、KIKU-TV主催のサイン会で地元の子供がした仕草を覚えておいたのだという。

ズバット

『快傑ズバット』は1977年2月2日、東京12チャンネル(現・テレビ東京)の水曜19時30分に始まった。親友・飛鳥五郎を殺した犯人を追って日本中を渡り歩く私立探偵・早川健が、飛鳥の遺した、5分しかもたないズバットスーツを身にまとう。下敷きは日活と小林旭の「渡り鳥」シリーズで、全32話中30話を長坂秀佳が書いた。宮内はコラムで長坂の言葉を引いている。「シナリオを書いてる俺が大学生まで面白く見れるように書いていた」。

宮内は早川健のまま、変身せずに全編をやりたかった。すでにレギュラーを三本抱え、引き受ける前に「本を見せてください」と頼んだが、台本はまだできていなかった。本人によれば、それが平山亨プロデューサーには「OKが出なかった」と伝わった可能性があるという。それでも役は宮内のもとに来た。

毎回、ギターの音とともに早川健が現れる。高い所に立つこともあれば、シルエットのこともある。そして最後は悪の首領が雇った用心棒との対決で、たいていは相手の得意な武器で勝負する。その道の達人を名乗る用心棒に、早川は決まって「日本じゃあ二番目だ」と言い放つ。

宮内は普段から小道具で遊び、対決の段取りを練った。殺陣の高橋一俊は時代劇出身で、宮内いわく自分以上に小道具で遊ぶ人だった。コラムにはこうある。「こうゆう事が出来る様になるには、日頃の小道具と遊ぶというのが役に立つ訳である」。タバコの煙の輪を拳銃の銃口にすっぽりかぶせる芸も、その遊びから生まれた。

第2話の用心棒は天本英世演じる居合の達人。宮内はあえて逆さ斬りで抜き、鞘に納めるまでをワンカットで見せた。第26話ではメスを操る殺し屋のメスを打ち返し、ついでに相手の無精ひげを剃って左右にちょびひげを残した。第27話ではギターの弦で矢を放ち、その矢を爪楊枝代わりにし、第28話では砂浜を足で掘ってギターを突き立てた。どれも現場で宮内が考えたものだ。

ロケの多い作品で、スタッフは毎日天気とにらめっこだった。第3話のラストの立ち回りは12月末、青梅街道沿いの村山の機械置場で撮影し、ズバットのタイムリミット1分前、昼少し前に雪が降り出した。手のあいた出演者とスタッフが画面に映る部分の雪をかき、撮影をやり遂げた。

第4話では疾走するズバッカーの周りで火薬がこれでもかと炸裂し、何カットも前がまったく見えなかった。早川がバイクに乗るのは全話で第30話だけで、宮内は後ろに人を乗せたまま立ち乗りで走った。同じ回のガラバーの爆弾槍は、光を第一とする「ナパーム」を使い、火薬好きの宮内のために重ねに重ねて撮った。第24話からの白い夏服も宮内の発案だ。

第29話の用心棒には、『ゴレンジャー』のキレンジャーで、近所に住む友人でもあった畠山麦を宮内自ら呼んだ。畠山は翌1978年に亡くなる。コラムで宮内は短く書いた。「色々あって書けません」。

第6話で視聴率15.5%を記録しながら、スポンサーのタカトクの玩具は売れなかった。もっと戦闘場面をという要請を長坂は拒み、番組は予定の52話に届かず、1977年9月28日の第32話で終わった。最終回で早川は飛鳥の真犯人、ダッカーの総統Dを倒し、オープニングと同じ黒革の衣装でひとり去っていく。後年、宮内はLD-BOX最終巻のすべてにサインを入れた。

ビッグワン

次のスーパー戦隊『ジャッカー電撃隊』(1977年)で、宮内は放送途中から番場壮吉/ビッグワンとして加わった。シリーズ初の追加戦士である。「隊長の役」と聞いて、指令を出すだけの少ない撮影日数を想定していたが、実は変身して戦う役だった。番場の登場で番組の中心は大きく動き、宮内は本来の主役で師匠の長男でもある丹波義隆に申し訳なさを感じていたという。

番場の衣装は宮内の意見で作られ、立ち回りで映えるよう裏地を赤にした。メイクも声も毎回変える変装の数々も、宮内が持ち込んだものだ。2001年、Vシネマ『百獣戦隊ガオレンジャーVSスーパー戦隊』で再び番場を演じた際は、当時の衣装が残っているか分からず、白いスーツは一から作り直された。

ウインスペクターとソルブレイン

『ズバット』『ジャッカー』のあと、宮内は十年以上ヒーロー番組のレギュラーから遠ざかった。『宇宙刑事ギャバン』(1982年)の宇宙刑事アランなどの客演を重ね、舞台では時代劇を中心に数多く出演した。ヒーローへの復帰は1990年、テレビ朝日系で日曜朝8時に放送された『特警ウインスペクター』(1990年2月4日〜1991年1月13日)である。

『ウインスペクター』はレスキューポリスシリーズの第1作。怪人の組織と毎週戦うのではなく、科学犯罪や災害に立ち向かい、人命救助を最優先にする警察チームの物語だった。宮内が演じたのは、この特警を創設した41歳の本部長、警視監の正木俊介である。

制帽姿でカメラを指さす正木本部長と『特警ウインスペクター』のメンバー
制帽姿の正木本部長と『特警ウインスペクター』のメンバー(1990年) · 写真:東映

役づくりの手本は、師・丹波哲郎が『キイハンター』や『Gメン'75』で演じたボスだった。変身しない役であることは宮内自身が出した条件で、新しい自分を見せたいという思いがあった。それでもアクションは積極的に求め、衣装にもアイデアを出している。正木は自ら現場に出て犯人を逮捕し、隊員と肩を並べて戦った。第13話では負傷の危険を承知でウインスコードの試験走行を買って出ている。1990年のヒット曲集には、宮内が歌う挿入歌「燃やせ!瞳を」も収められた。

続く『特救指令ソルブレイン』(1991年1月20日〜1992年1月26日)で、正木は新たなチームを組織し、「人命だけでなく犯人の心も救う」を掲げた。二つの番組をつないだのは正木の存在だ。正木を通じてウインスペクターの隊員がゲストで戻り、前作の主人公・香川竜馬も何度も登場した。当時の宮内は「これまで4本の変身ヒーロー物に出てきたのに、なぜお子様番組にばかり出るのか」と問われることがあった。1992年7月刊行の『京本政樹のHERO考証学』(バンダイ)で、宮内はこう反論している。

お子様番組って何ですか? 内容は子供に分かりやすく作っているかも知れないが、映像のプロが心血注いで作った作品をお子様番組と呼ぶのは心外だ

宮内洋、『京本政樹のHERO考証学』(1992年)

正木の最後の登場は、シリーズ第3作『特捜エクシードラフト』の終盤、第47〜49話だ。三作をつなぐために制作側が宮内の出演を求め、宮内はソルブレイン時代の制服に別の制帽で臨んだ。物語では、パリの国際会議に向かう警察幹部らの旅客機に乗った正木が、敵の力で異次元に封じ込められ、敵が倒れたあとに帰還する。

衣装

宮内には「ヒーローは衣装を替えない」という持論がある。『ジャッカー』『ウインスペクター』『ソルブレイン』、そして『超力戦隊オーレンジャー』(1995年)でも、衣装は作品ごとに一着だけ。コラムでは、変身後のキャラクターが変わらないのに、変身前が変わるのはおかしいと書いている。「ヒーローは物を食うべからず」という自論もあったが、『ズバット』では自ら破り、「今回の食欲は何なんでしょうね」と笑っている。

『オーレンジャー』で共演したさとう珠緒は、真夏の旅館でも靴下を履いている宮内を不思議がった。返ってきたのはこんな答えだった。「もし子供がこんな格好を見ていたら格好悪いだろ。ヒーローは常に格好良くないといけない」。トレードマークの白い手袋は、スタントでのけがを防ぐための千葉真一のアイデアだという。

宮内が一貫して唱えてきたのが「ヒーロー番組は教育番組である」だ。2023年のマイナビニュースでは、その真意をこう語った。「何もお説教をするとかじゃないんです。ヒーローの持つ強い影響力には、奇跡を起こせる何かがあるんじゃないか、そういう考えのもと、僕はヒーローを演じ続けてきました」。『ズバット』第1話で、早川が亡き友の仏前で帽子と手袋を取る場面も、親が子に教えるべき当たり前のこととしてコラムで取り上げている。子供からのファンレターには、崩さない平仮名で返事を書いた。

白馬

2001年11月、テレビ東京系「水曜ミステリー劇場」のロケで長野県白馬村を訪れた際、山へ向かうロケバスが凍結路でスリップした。降りた瞬間に足を滑らせ、とっさに受け身の要領で体をひねったところ、腰に鈍い音がした。以来、腰痛と足のしびれを抱えたまま、コルセットとテーピングで毎日標高2000メートルの山に登り、撮影を終えた。コラムには「お芝居をしてのアクシデントならまだしも、このような出来事は無念さと、はがゆさが残る」とある。

2002年には東京・浜町の明治座で五木ひろし座長公演に出演し、楽屋のモニターを流したままコラムを書いた。『ズバット』で身につけた姿勢や所作が舞台で役立っているという。2005年の映画『仮面ライダー THE FIRST』では、小林昭二が演じた立花藤兵衛を1シーンだけ演じ、「当時から憧れた藤兵衛の役ができてとてもうれしい」と語った。

2008年には人工血管を入れる8時間の大手術を受けた。公表したのは2012年、『ゴレンジャー』のアカレンジャー・誠直也とのトークイベントでのことで、のちにテレビでは「人造人間になってしまったかな」とおどけてみせた。2019年にはNHK『トクサツガガガ』の最終回に書店の店主役で出演している。

白い手袋でV3の変身ポーズを決める宮内洋
白い手袋でV3の変身ポーズを決める宮内洋 · 写真:提供

2024年4月29日、76歳の宮内は、ところざわサクラタウンで開かれた「生誕50周年記念 THE 仮面ライダー展」のオープニングに、ダブルタイフーンを腰に巻いて登場した。「正義というものは不滅なんだよ。見せてやろう、風見志郎の変身を」。そして前年、V3の50周年を振り返ったマイナビニュースのインタビューは、こう結ばれている。「今の自分もまた風見志郎とイコールだなって思いましたね。いつでも『変身』できますよ」。

中野のBAR HERO IIIで正木本部長の制帽をかぶる筆者
BAR HERO IIIで正木本部長の制帽をかぶる筆者シルヴィオ・ドリア · 写真:筆者
旅の記録 · 東京・中野
BAR HERO IIIの夜

東京で過ごしたある夜、私たちは中野のBAR HERO IIIを訪ねた。店主は宮内洋の長男・宮内泰介さん。2014年7月、新井の薬師あいロードに開いた店で、名前の「III」は父の代表作『仮面ライダーV3』にちなんでいる。

店内は宮内洋の仕事をたどる小さな博物館のようだった。壁や棚には父の出演作のグッズが並び、カウンターには年齢もばらばらの客が集まって、特撮の話でつながっていた。なぜヒーローが好きなのか、ここでは誰も説明する必要がない。会話は自己紹介もなしに、テーブルからテーブルへと広がっていった。

ブラジルから来たファンで、正木本部長の『特警ウインスペクター』で宮内洋を知ったのだと伝えると、泰介さんは棚からウインスペクターのVHSを取り出し、店のテレビで流してくれた。私たちは画面の中で隊員に指示を出す父親の姿を眺めた。しばらく話したあと、泰介さんは宮内洋が正木本部長としてかぶった制帽を、私たちにかぶらせてくれた。

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出典: 東映ヒーローネット、 マイナビニュース(2023年)、 マイナビニュース(2017年)、 マグミクス、 オリコン、 シネマトゥデイ、 双葉社 THE CHANGE、 中野っていい友! 、 Wikipedia日本語版。